不登校生の進路講座

  • 2011.09.19 Monday
  • 22:07
今年も「不登校生徒とその保護者のための進路講座」を開催しています。
私のホームページの最新情報でご案内しているとおりです。
残りあと1回。
今年は頑張って3回、12校お呼びしています。
開催するには、結構エネルギーがいります。
3回終わると、スタッフはみな、へとへとで、「来年はもうしたくないよ〜」とチラッと思ったりしますが、
「やっぱり、またする!」となります。

この講座は今年で3年目。
1年目は2回、6校お呼びしました。
2年目は3回、9校でしたから、毎年ヴァージョンアップしています。

不登校生は学校へ行っていないため、様々な情報を得にくい状況にあります。
進路についてもそうです。
それに将来のことを考えようにも、「まずは、学校へ行くことが先決」と言われたり、「毎日学校へ行けるようになってから考えなさい」などと言われがちです。学校へ行っていないということが、あらゆる可能性を否定してしまいます。

「学校へ行っていない」イコール「将来の可能性はない」のでしょうか?
親も子もそのように思い込んではいないでしょうか?

私たちは、実際には、中学での出席日数を高校入学の条件にはしていない学校がかなりあることを発見しました。まずはそのような情報をお伝えしたくて、この講座を始めたのです。

学校へ行っていないからといって、希望を捨てないでください。
また、不登校であっても、子どもの学習する権利は守られなければならないと考えています。
「学校」という目先のことにとらわれず、子どもたちの将来を励ましていきたいですね。

不登校という事態にとらわれていると、子どもの存在価値そのものを見失いかねません。
学校へ行っても行かなくても、子どもそのものの価値は変わりません。
考えてみてください。わが子が「学校へ行くからかわいい」「行かないからかわいくない」なんてありえますか? 行っても行かなくてもかわいい、ですよね。

存在にしっかりと価値をおき、ブレなければ、いろいろな現象に振り回されずにすみます。

私が昔書いたエッセイをご紹介します。

1996年2月12日 毎日新聞朝刊 「女の気持ち」掲載
「娘の不登校」
 ある朝、小学1年の娘が、頭が痛いといって布団から出てこない。学校を休ませると、午後には元気になる。が、翌朝も布団にうずくまる。その翌朝も・・・。完全に不登校の症状だ。「どうか学校へ行ってくれ」と、おろかな願望が頭をよぎる。「いいや、行けばすむ問題じゃない。学校へ行くことと、この子自身と、どちらが大事?」と考え込む。
 「頭が痛いのは、学校へ行きたくないからじゃない?」と娘に問う。「ちがう。痛いから行けないの」と返事。もっともだ。わけがわからないからこそ痛みとなって現れるのだろう。我ながらへんな質問をしたものだ。「かくなる上は受容に徹しよう」と、強く自分に言い聞かせる。
 3日目の朝、担任の先生が「来なさいよ」と電話をくださった。娘は「うん、行く」と答えたものの、受話器を置くなり布団につっ伏して泣き出した、私は思わず「泣きたいだけ、うんと泣いていいよ。お母さんはずっとそばにいるからね。」と娘を抱いた。思いっきり泣いたあとで娘は、クラスの子に意地悪されたことや、こわい子がいるということをポツリポツリと話し出した。「つらかったねえ、くやしかったねえ」と、私も一緒になって言った。すっきりしたのか「さあ、学校へ行こう」とすっくと立ち上がり、着替え始めた。
 そう、学校へ行く行かないじゃなく、あなた自身がイキイキしているか、お母さんにはそれが一番大事だよ。
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